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- アメリカビザ、面接はアッという間
- 海外赴任、まず始めることは
ローカルスタッフとの衝突を乗り越えて
シンガポール在住 本宮 淳之介
私の海外生活はマレーシア、ジョホール州のとある田舎街から始まりました。マレーシアには学生時代に旅行で来たことがあったので、赴任生活を始めるにあたりさほど大きな不安を抱いてはいませんでした。旅行の際に受けた印象はすごく人なつっこい人々で、日本人が忘れかけている人情味があるなという感想でした。そういった部分では日本よりも気楽に、楽しく過ごせるとさえ思っていました。
来てすぐまず大きな壁にぶち当たりました。当たり前ですが言葉の壁でした。マレーシアはイギリス占領の影響もあり、英語は比較的通じると聞いていました。以前の旅行の際にもつたない英語で何とかなっていました。しかしそれは見当違いに終わり、会社のあったところはまわりに木々が生い茂る本当の集落の中、そこを切り開いただけの工場団地でした。そのためそこに働きにくる従業員たちはその山奥に住む、田舎の人々(悪意はありません)だったのです。
英語が... ほとんど通じません。ましてや相手の英語にはマレー語が混ざりが何を言ってるのかわかりません。当然仕事に影響してきます。まして工場の中で彼らとまったく同じ立場での仕事でしたので、フォークリフトを運転し、一緒にものを担ぎ汗を流してましたので「これをどこに運ぶ」「次は何をする」「昼休みのご飯は」など、本当に「いちいち尋ねないとできない」状態でした。
それでも数ヶ月経ってくるとお互いの言語が何となく感覚でわかってくるもので、そうすると彼らの仕事ぶり、能率などが気になってくるようになりました。知らず知らずのうちに意見、時には指図するような言動があったのでしょう。マレー語で彼らが陰で明らかにわたしの文句を言っているのがわかります。残念ながら意味が分からない。時には同じ席を囲みながら何か言われてさえいました。
そしてそれが日本への悪口(戦争中のこととか、頭をペコッと下げるお辞儀など)、日本人を小馬鹿にしたような、そういったことも言っていることが気になってきました。こうなってくると当然日本人として腹がたってきます。すると「国際交流」「国際親善」そんなことはうわべの話で、この彼らとはそれはあり得ない、とさえ思えてきました。「旅行で来る」のと「生活する」のでは、外国人に対する彼らの態度も違ってくるのだ、と思いました。
そんな折一度相手が完全にキレて、相当の剣幕でこちらに文句を言ってくることがありました。けれどお互いに共通の言語がないために、あとは言われるがまま、その相手はまわりにさらに文句を言えるからいいけれど、わたしにはそれを言える相手も、言語もない、本当に悔しい思いをしました。決して自分が偉いと思ってるからではなく、会社のことや相手のこれからを思って言っていること、それが伝えたくて、その場で伝えたくて、そのためには英語ではなく彼らの言語で... それが彼らの言語を覚えようと思ったきっかけとなりました。
その後だんだんこちらがマレー語を理解して、言いたいことを伝えるようになると、彼らの日本人を小馬鹿にするような言動はなくなりました。そして日本からのおみやげを渡したり彼らのお正月に招かれ家に訪問したり、仕事の方でもそんなに会話しなくても逆に日々の自然の動きの中でお互い尊重し合いできるようになってきました。重いものを持ってるときや、危なそうな時など自然と声を掛け合い、お互いが思いやることができるようになってきました。
そこで気がつきました。「国際親善」なんてあり得ないと思っていた自分の心境の変化に...。
数々の衝突、苦境を越えたからこその思いやりと理解。これが旅行の短期滞在ではわからない、腰をすえて土地の人たちと向き合うからこその真の国際親善の姿なのではないか、ということにです。
もっと最初から友好的な形でこういった思いをする方もいらっしゃるかと思いますが、自分の場合には全く反対の方向からでありました。苦労、衝突が多い分、その喜び、得たものは大きかったです。現在は環境が変わりましたが今でもジョホール州の小さな集落の、あの彼らには感謝しています。







